恋と仕事とダイエットとストレスと。
いかにしてお金をかけずに痩せたか。 痩せてもまだまだ悩みは続く。
外食も一苦労:5月3日の食事記録
2011年5月3日の記録
体重・体脂肪
8時 49.20kg 20.00%
食事:計2,032kcal
08時(50kcal)
不二家 カントリーマアム 50kcal
10時(70kcal)
不二家 ホームパイ 70kcal
11時(900kcal)
天ぷらうどん 894kcal
麦茶 5kcal
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12時(212kcal)
ポテトコロッケ(中) 212kcal
体重・体脂肪
食事:計2,032kcal
08時(50kcal)
10時(70kcal)
11時(900kcal)
12時(212kcal)
20時(52kcal)
不二家 カントリーマアム 50kcal
煎茶 2kcal
21時(748kcal)
鮭と小松菜のリゾーニ 748kcal
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ハルちゃんは話題の店というやつが好きだ。
テレビでやってたとか、有名であるとか、老舗であるとか言うやつだ。
その理由は、「おいしいから」とか、「スタンダードだから」である。
「関西ではそれが普通なの?」とよく聞く。
ヒマワリは、「おいしいってのは記憶である」と思う。
お母さんが作ったクソまずいチャーハンであっても、懐かしく思えることがある。
それって、もう二度と食べられないとき、同じ味には感動さえ覚えることだろう。
食事ってのは、味自体ではなく、その空気全体を食べることである。
という、ヒマワリの持論は、ハルチャンには全く理解されない。
誰と食べても同じだし、味は「美味しくないと意味がない」のだ。(食材に失礼らしい。)
この日、昼間しかやっていないお店に、混むことが予想できる小さな店に行くことにした。
前は車で連れて行ってもらったし、そんなに急がなくても大丈夫だという時間に出た。
覚えたの?と何度も何度も何度も聞かれる。
多分。と何度も何度も何度も答える。
間違えようものなら鬼の首を取ったかの勢いで責められるからだ。
多分と言ったじゃないかと言うなら、何で覚えないのかを責められる。
じゃあ行かなければよかったねと言えば終わるから、いつもそうしている。
歩いて20分強の道のりを歩いて行く。
怪しいなぁと思う場所に来たら、あっちじゃないかこっちじゃないかと言い出す。
なぜ土地勘がないのに、ヒマワリに指示できるのかさっぱりわからない。
そのときも、間違えていると言わんばかりに合ってるの?と聞かれたから、
多分と答えたら、じゃあ違う道に行くと言い出した。
発達障害ってのはこういうことなんだろう。と、ふと思う。
時間は余裕を持って出たし、少々間違っても必ずヒマワリはたどり着ける。
なぜなら、知らない人に道を聞けばいいし、コンビニでも聞くからだ。
ハルちゃんは、決めた時間に到達できないってことでイライラしてくる。
ヒマワリには、開店時間の30分前に家を出ているのにイライラする意味がわからない。
並べば食べられるなら、別に並べばいいじゃないか。
イライラして食べに行くうどんなんて意味がない。
それはヒマワリの中の「おいしい」とはかけ離れた食事だからだ。
ひとりで行けばいいのに、と思い始め、私のお金なのに、と思い始め、
私が歩く道は、何のためにどこに向かうべき道なのかわからなくなってくる。
ほぼ予想通りの時間について、店の前で20分以上待つことになる。
タバコがない(震災の影響で関東に物資供給が行われていない)ので、
ひとりコンビニまで歩いてハルチャンのタバコを買いに行った。
そこでやっと気づいたらしい。
私の機嫌が悪いと言うことに。
機嫌が悪いのではない。
ばかばかしくなったのだ。何もかもが。
でもそれをハルちゃんに言ってもどうしようもない。
その手の問題は、誰と付き合っても同じ問題が発生するのだ。
ハルチャンほどわかりやすくないだけだ。
帰り道には「うどん美味しかったねー」とさっきまでのことを忘れたかのようだ。
違う道を歩き出したハルちゃんに、どこへ行くのかと尋ねた。
「お散歩。嫌なの?」と言うので、とりあえずついていった。
散歩して、ヒマワリひとりでは行ったことのない場所に着いた。
「機嫌直った?」と聞いてくる。
機嫌直った?ってのは、怒っている人間に使うべき言葉ではない。
でもまぁ、一応一生懸命考えた結果がこれなんだろう。
帰り道に肉屋のコロッケを食べたいと言うので買い食いした。
ハルチャンはハムカツと牛肉コロッケを。私はポテトコロッケを。
帰ってからはダラダラと過ごした。
もう今日はお腹一杯だからいらないといい、ハルキチが先に寝たので、
ヒマワリは一人でご飯を食べた。
リゾーニ(米状のパスタ)を一人で食べていてふと思う。
ご飯を一緒に食べる必要性はないのかもしれない。
しかし、それってひとりで生活しているのと何が違うのだろう。
21時(748kcal)
ハルちゃんは話題の店というやつが好きだ。
テレビでやってたとか、有名であるとか、老舗であるとか言うやつだ。
その理由は、「おいしいから」とか、「スタンダードだから」である。
「関西ではそれが普通なの?」とよく聞く。
ヒマワリは、「おいしいってのは記憶である」と思う。
お母さんが作ったクソまずいチャーハンであっても、懐かしく思えることがある。
それって、もう二度と食べられないとき、同じ味には感動さえ覚えることだろう。
食事ってのは、味自体ではなく、その空気全体を食べることである。
という、ヒマワリの持論は、ハルチャンには全く理解されない。
誰と食べても同じだし、味は「美味しくないと意味がない」のだ。(食材に失礼らしい。)
この日、昼間しかやっていないお店に、混むことが予想できる小さな店に行くことにした。
前は車で連れて行ってもらったし、そんなに急がなくても大丈夫だという時間に出た。
覚えたの?と何度も何度も何度も聞かれる。
多分。と何度も何度も何度も答える。
間違えようものなら鬼の首を取ったかの勢いで責められるからだ。
多分と言ったじゃないかと言うなら、何で覚えないのかを責められる。
じゃあ行かなければよかったねと言えば終わるから、いつもそうしている。
歩いて20分強の道のりを歩いて行く。
怪しいなぁと思う場所に来たら、あっちじゃないかこっちじゃないかと言い出す。
なぜ土地勘がないのに、ヒマワリに指示できるのかさっぱりわからない。
そのときも、間違えていると言わんばかりに合ってるの?と聞かれたから、
多分と答えたら、じゃあ違う道に行くと言い出した。
発達障害ってのはこういうことなんだろう。と、ふと思う。
時間は余裕を持って出たし、少々間違っても必ずヒマワリはたどり着ける。
なぜなら、知らない人に道を聞けばいいし、コンビニでも聞くからだ。
ハルちゃんは、決めた時間に到達できないってことでイライラしてくる。
ヒマワリには、開店時間の30分前に家を出ているのにイライラする意味がわからない。
並べば食べられるなら、別に並べばいいじゃないか。
イライラして食べに行くうどんなんて意味がない。
それはヒマワリの中の「おいしい」とはかけ離れた食事だからだ。
ひとりで行けばいいのに、と思い始め、私のお金なのに、と思い始め、
私が歩く道は、何のためにどこに向かうべき道なのかわからなくなってくる。
ほぼ予想通りの時間について、店の前で20分以上待つことになる。
タバコがない(震災の影響で関東に物資供給が行われていない)ので、
ひとりコンビニまで歩いてハルチャンのタバコを買いに行った。
そこでやっと気づいたらしい。
私の機嫌が悪いと言うことに。
機嫌が悪いのではない。
ばかばかしくなったのだ。何もかもが。
でもそれをハルちゃんに言ってもどうしようもない。
その手の問題は、誰と付き合っても同じ問題が発生するのだ。
ハルチャンほどわかりやすくないだけだ。
帰り道には「うどん美味しかったねー」とさっきまでのことを忘れたかのようだ。
違う道を歩き出したハルちゃんに、どこへ行くのかと尋ねた。
「お散歩。嫌なの?」と言うので、とりあえずついていった。
散歩して、ヒマワリひとりでは行ったことのない場所に着いた。
「機嫌直った?」と聞いてくる。
機嫌直った?ってのは、怒っている人間に使うべき言葉ではない。
でもまぁ、一応一生懸命考えた結果がこれなんだろう。
帰り道に肉屋のコロッケを食べたいと言うので買い食いした。
ハルチャンはハムカツと牛肉コロッケを。私はポテトコロッケを。
帰ってからはダラダラと過ごした。
もう今日はお腹一杯だからいらないといい、ハルキチが先に寝たので、
ヒマワリは一人でご飯を食べた。
リゾーニ(米状のパスタ)を一人で食べていてふと思う。
ご飯を一緒に食べる必要性はないのかもしれない。
しかし、それってひとりで生活しているのと何が違うのだろう。
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