恋と仕事とダイエットとストレスと。
いかにしてお金をかけずに痩せたか。 痩せてもまだまだ悩みは続く。
冷凍庫のイライラを処分する:3月24日の食事記録
2011年3月24日の記録
体重・体脂肪
6時 48.80kg 17.90%
食事:計1,769kcal
10時(115kcal)
インスタントコーヒー(ブラック) 12kcal
ちんすこう 103kcal
12時(482kcal)
ご飯 336kcal
卵入り納豆 142kcal
昆布茶 4kcal
14時(6kcal)
インスタントコーヒー(ブラック) 6kcal
体重・体脂肪
6時 48.80kg 17.90%
食事:計1,769kcal
10時(115kcal)
インスタントコーヒー(ブラック) 12kcal
ちんすこう 103kcal
12時(482kcal)
ご飯 336kcal
卵入り納豆 142kcal
昆布茶 4kcal
14時(6kcal)
インスタントコーヒー(ブラック) 6kcal
18時(1,166kcal)
ご飯 336kcal
豚肉の味噌漬け焼き 486kcal
きのこのソテー 106kcal
味噌汁(大根と油揚げ) 75kcal
アスパラとチンゲンサイのソテー 72kcal
アサヒ オフ350ml 91kcal
たとえばこの日の、豚肉。
ハルチャンが来た時に使えばいいかなと思って冷凍しておいた。
でもハルチャンは全く見向きもせず。
まぁ(状況判断)視野が狭いことも、お金が関わると何が何かわからなくなることも、
その見向きをしない原因であろう。ヒレ肉だし。
たとえばそういう「よかれと思った無駄なこと」とか、意外と捨てにくかったりするものだ。
それってこだわっているからなのかと思い込んでいたのだけど、
結局自分もちょっと使いずらかったりするのだ。小さな親切大きなお世話。
そういうお互い様なことはたくさん存在して、
誰かからもらった微妙に捨てづらいものは家の中に結構たくさん存在する。
たとえば引き出物でもらった大きなお皿だとか。
ブラックコーヒーしか飲まないのにもらったコーヒーフレッシュだとか、グラニュー糖だとか。
ハルチャンが好きだから買ったけど、使っていないサツマイモだとか。
そういうものを全部使い切ってリセットする方向でものを考えてみる。
シチューにクリープ的なものを投入してみたり、冷凍してある肉を調理してみたりってことだ。
なんかうまくいかないときや、イライラしたりするとき、悲しい気持ちになったとき。
なんとなくあるけど、使い道もないし存在するだけで捨てられないもの。
丁寧に使い切って、なんだか「きちんとした生活」みたいに感じる手間をかけようと思った。
地震があって、報道は暗いことを悲しみを「当然」受け止めろと連日だらだら流していて、
日本自体を復興させなきゃいけないのに、「フキンシン」って言葉が吹き荒れていた。
今フキンシンなんて誰も言わない。
でも困っている人はいまだにたくさんいるし、問題は山積みだ。
何も変わっていないのに、あのときの集団ヒステリックみたいな状態ではない。
だから何かこの頃は悲しかったんだな。
だから買わずにどんどん面倒くさいものを処分して、軽くなろうと思っていたのだ。
いろんなことから。積み重なっていくファシスト思想みたいなものから逃げたかったのだ。
ご飯 336kcal
豚肉の味噌漬け焼き 486kcal
きのこのソテー 106kcal
味噌汁(大根と油揚げ) 75kcal
アスパラとチンゲンサイのソテー 72kcal
アサヒ オフ350ml 91kcal
たとえばこの日の、豚肉。
ハルチャンが来た時に使えばいいかなと思って冷凍しておいた。
でもハルチャンは全く見向きもせず。
まぁ(状況判断)視野が狭いことも、お金が関わると何が何かわからなくなることも、
その見向きをしない原因であろう。ヒレ肉だし。
たとえばそういう「よかれと思った無駄なこと」とか、意外と捨てにくかったりするものだ。
それってこだわっているからなのかと思い込んでいたのだけど、
結局自分もちょっと使いずらかったりするのだ。小さな親切大きなお世話。
そういうお互い様なことはたくさん存在して、
誰かからもらった微妙に捨てづらいものは家の中に結構たくさん存在する。
たとえば引き出物でもらった大きなお皿だとか。
ブラックコーヒーしか飲まないのにもらったコーヒーフレッシュだとか、グラニュー糖だとか。
ハルチャンが好きだから買ったけど、使っていないサツマイモだとか。
そういうものを全部使い切ってリセットする方向でものを考えてみる。
シチューにクリープ的なものを投入してみたり、冷凍してある肉を調理してみたりってことだ。
なんかうまくいかないときや、イライラしたりするとき、悲しい気持ちになったとき。
なんとなくあるけど、使い道もないし存在するだけで捨てられないもの。
丁寧に使い切って、なんだか「きちんとした生活」みたいに感じる手間をかけようと思った。
地震があって、報道は暗いことを悲しみを「当然」受け止めろと連日だらだら流していて、
日本自体を復興させなきゃいけないのに、「フキンシン」って言葉が吹き荒れていた。
今フキンシンなんて誰も言わない。
でも困っている人はいまだにたくさんいるし、問題は山積みだ。
何も変わっていないのに、あのときの集団ヒステリックみたいな状態ではない。
だから何かこの頃は悲しかったんだな。
だから買わずにどんどん面倒くさいものを処分して、軽くなろうと思っていたのだ。
いろんなことから。積み重なっていくファシスト思想みたいなものから逃げたかったのだ。
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