恋と仕事とダイエットとストレスと。
いかにしてお金をかけずに痩せたか。 痩せてもまだまだ悩みは続く。
過食症:3月28日の食事記録
2011年3月28日の記録
体重・体脂肪
10時 49.50kg 19.50%
食事:計3,986kcal
14時(2kcal)
煎茶 2kcal
友人宿泊のため、昼過ぎまでグダグダ過ごす。
体重・体脂肪
食事:計3,986kcal
14時(2kcal)
友人宿泊のため、昼過ぎまでグダグダ過ごす。
16時(3,094kcal)
五目あんかけ焼きそば 117kcal
八宝菜 76kcal
えび蒸しギョウザ 46kcal
小籠包 61kcal
蒸しパン 218kcal
シュウマイ 122kcal
麻婆豆腐 112kcal
揚げなす田楽 225kcal
さやいんげんとザーサイの炒め物 147kcal
回鍋肉 139kcal
えびのチリソース煮 233kcal
五目チャーハン 188kcal
ピータン豆腐 270kcal
さやえんどうの卵とじ 150kcal
肉団子甘酢あんかけ 335kcal
ピリ辛ごまマヨサラダ 279kcal
醤油ラーメン 145kcal
にんにくの茎と豆腐のオイスターソース炒め 164kcal
豆乳プリン 65kcal
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18時(225kcal)
コカ・コーラ500ml 225kcal
23時(664kcal)
カンパリグレープフルーツ 394kcal
パン 271kcal
食べ物をを食べて吐くという行為。
久しぶりにやってみると違和感はなかった。
今思えばヒマワリは随分長い間摂食障害であったのだろう。
現在もそうだとも言えるのかもしれない。
女性性に対しての否定が、痩せになるのではなく肥満体として対象物からの除外。
誰かと食事に行くことへ対しての嫌悪感。歯が鳴ったりモノを噛み切る音への嫌悪感。
ある友人は顎関節症なのかもしれないが、顎がカクカクと鳴る。
仕事の相方はクチャラーでくちゃくちゃ言わせながら食べる。
食べると言うことが吐き気を伴うほど気味の悪い行為であるってことを認識させられる。
目の前に出されたものを平らげる。喉元までせりあがってくる感覚があるのに食べる。
この日は出かける前に調べたお店のランチには、
のんびりしているから間にあわない時間になった。
お金のこともあるし、なんでもどこでもいけるわけじゃないし、
色々考えて調べても、全てが簡単に無駄になった。
顔には出さないけど、向日葵はちょっとイラついていたのだ。
最後は適当に入ろうと言われて、なんかどうでもよくなった。
中華バイキングがあったなぁと言うと、友人は気を遣ってくれたのだろう。
その店に行ってみることにした。
平日だったし、比較的すいていたお店。
静かではないけど、賑やかとまではいかない程度のノイズ。
そこで「幸せなの?」と聞かれた。
よくわからないと答えると、
「病気を持った人といるってのはそれだけで負担でしょ」と言われた。
イラッとした。
世の中ってのはさ。
弱い人を見て可哀想だ、やさしくしなきゃって言うよね。
でも、本当にそういう人たちと会うとその人たちを疎んじたりする。
「自分はもっと幸せになる権利がある」と思い込むんだよね。
楽な方法とか、幸せの形とかって、自分の主張をするくせに、
みんなにやさしくしましょうって平気で言うんだよ。矛盾している。
私は自分が幸せかどうかはわからない。
幸せってのはいつだって過去にしかないものだと思うから。
今は全力で目の前にあるものを丁寧に大切にするだけだよ。
そもそも。
病気だからって幸せじゃないなんて勝手に決める権利はどこの誰にもない。
それを決めるのは自分自身だけで、誰かの気持ちを勝手に決めるほど偉くない。
私がもし不幸だとするなら、自分で幸せになる力がないだけだ。
病気のせいでもハルちゃんのせいでもないよ。
私は今幸せでないとしたら、幸せになる方法を考えるよ。
病気だから普通だからって勝手に決めるのは、
自分の方が勝っていると思いこんでいるってことだ。
勝っているとも負けているとも思わない。
私たちは違うから、話し合って、ケンカして、それで理解していくしかない。
幸せじゃないとしても。普通と違うとしても。
まくしたてたら、友人はボロボロと泣きだした。
(;゚Д゚) エー
彼女は生理不順とかが昔から強くて、婦人科にずっと通っている。
子どもが産めないんじゃないかって昔から不安に思っている。
だから私に「幸せになれないんじゃないの?」と言うのだ。
楽な方法があるんじゃないの?って聞くのは、
自分だと相手のためにならないからと思い込んでいるのだ。
子どもが産めない女は意味がないと思い込んでいるのだ。
私はハルちゃんのことを勝手に決めたり、
私が幸せにならなきゃいけないと言われたのに腹が立ったのだ。
賢明な友人が時折言う「幸せ?」ってのが腹が立っただけなのだ。
でも結果、彼女の病気をいちいちクヨクヨしてんじゃないよと励ましたらしい。
(´Д`) 女子はムズカシイノゥ
しかしながら。
結果思ってみれば。
ずいぶんとずいぶんと頑張って頑張ってイイところを探している。
職場の仕事をしないクチャラーの相方にも。
いちいち鈍感でメンドクサイ以外の表現ができない友人にも。
仕事をしてない、否定の言葉がデフォルトの恋人にも。
そして、相談を持ちかけてきた人たちに。家族に、友人に。
百貨店のトイレで気分が悪くなって吐いた。
そりゃこれだけ食べれば当然である。
辛くもなく、「当たり前だよなぁ」と思いながら吐いた。
泊めてくれたお礼と言って友人が奢ってくれたにも関わらず。
吐く前に、コーラを買うかどうか迷った。
出費を考えた。
私、何やってるんだろう。
痩せるために吐いたわけじゃない。
食欲をセーブできなかったわけじゃない。
知らないうちに薄く薄く積み重なったストレスのせいじゃない。
ただ単に、目を逸らしているからだ。
バカみたいに食べて、バカみたいに怒って、バカみたいに気を遣って、
バカみたいに頑張って、バカみたいに我慢して。
たった150円のモノを買うのに迷って、吐くまで食べて。
ふと思い返したら、太っていた時にはよくあったことだ。
食べて食べすぎて、吐く以外の方法しかなかったこと。
たくさん食べて後悔してじゃなく、気分が悪くて消化しきれなくて。
ハルちゃんと付き合ってからは、ダイエット考えてたからもあるけど、
そういうのがなくなったなぁってことに気づいた。
痩せるってのはいいことばっかりじゃなかったし、損したこともある。
でも食事を見なおしたってのは、「自分の食事を修正する情報」としては有益だった。
命を食らってそれを吐き出して、食べられる量も把握できていなかった。
なんか。
色々考えるのがバカバカしくなった。
さっさと帰って寝ることにしよう。
そして、ハルちゃんとも嫌になったら別れたらいいんだわ。
食べたものを吐き出して、身体の中にあったモヤモヤも吐き出したようだ。
頑張らなきゃいけない理由なんて、ひとつもないのだ。
18時(225kcal)
23時(664kcal)
食べ物をを食べて吐くという行為。
久しぶりにやってみると違和感はなかった。
今思えばヒマワリは随分長い間摂食障害であったのだろう。
現在もそうだとも言えるのかもしれない。
女性性に対しての否定が、痩せになるのではなく肥満体として対象物からの除外。
誰かと食事に行くことへ対しての嫌悪感。歯が鳴ったりモノを噛み切る音への嫌悪感。
ある友人は顎関節症なのかもしれないが、顎がカクカクと鳴る。
仕事の相方はクチャラーでくちゃくちゃ言わせながら食べる。
食べると言うことが吐き気を伴うほど気味の悪い行為であるってことを認識させられる。
目の前に出されたものを平らげる。喉元までせりあがってくる感覚があるのに食べる。
この日は出かける前に調べたお店のランチには、
のんびりしているから間にあわない時間になった。
お金のこともあるし、なんでもどこでもいけるわけじゃないし、
色々考えて調べても、全てが簡単に無駄になった。
顔には出さないけど、向日葵はちょっとイラついていたのだ。
最後は適当に入ろうと言われて、なんかどうでもよくなった。
中華バイキングがあったなぁと言うと、友人は気を遣ってくれたのだろう。
その店に行ってみることにした。
平日だったし、比較的すいていたお店。
静かではないけど、賑やかとまではいかない程度のノイズ。
そこで「幸せなの?」と聞かれた。
よくわからないと答えると、
「病気を持った人といるってのはそれだけで負担でしょ」と言われた。
イラッとした。
世の中ってのはさ。
弱い人を見て可哀想だ、やさしくしなきゃって言うよね。
でも、本当にそういう人たちと会うとその人たちを疎んじたりする。
「自分はもっと幸せになる権利がある」と思い込むんだよね。
楽な方法とか、幸せの形とかって、自分の主張をするくせに、
みんなにやさしくしましょうって平気で言うんだよ。矛盾している。
私は自分が幸せかどうかはわからない。
幸せってのはいつだって過去にしかないものだと思うから。
今は全力で目の前にあるものを丁寧に大切にするだけだよ。
そもそも。
病気だからって幸せじゃないなんて勝手に決める権利はどこの誰にもない。
それを決めるのは自分自身だけで、誰かの気持ちを勝手に決めるほど偉くない。
私がもし不幸だとするなら、自分で幸せになる力がないだけだ。
病気のせいでもハルちゃんのせいでもないよ。
私は今幸せでないとしたら、幸せになる方法を考えるよ。
病気だから普通だからって勝手に決めるのは、
自分の方が勝っていると思いこんでいるってことだ。
勝っているとも負けているとも思わない。
私たちは違うから、話し合って、ケンカして、それで理解していくしかない。
幸せじゃないとしても。普通と違うとしても。
まくしたてたら、友人はボロボロと泣きだした。
(;゚Д゚) エー
彼女は生理不順とかが昔から強くて、婦人科にずっと通っている。
子どもが産めないんじゃないかって昔から不安に思っている。
だから私に「幸せになれないんじゃないの?」と言うのだ。
楽な方法があるんじゃないの?って聞くのは、
自分だと相手のためにならないからと思い込んでいるのだ。
子どもが産めない女は意味がないと思い込んでいるのだ。
私はハルちゃんのことを勝手に決めたり、
私が幸せにならなきゃいけないと言われたのに腹が立ったのだ。
賢明な友人が時折言う「幸せ?」ってのが腹が立っただけなのだ。
でも結果、彼女の病気をいちいちクヨクヨしてんじゃないよと励ましたらしい。
(´Д`) 女子はムズカシイノゥ
しかしながら。
結果思ってみれば。
ずいぶんとずいぶんと頑張って頑張ってイイところを探している。
職場の仕事をしないクチャラーの相方にも。
いちいち鈍感でメンドクサイ以外の表現ができない友人にも。
仕事をしてない、否定の言葉がデフォルトの恋人にも。
そして、相談を持ちかけてきた人たちに。家族に、友人に。
百貨店のトイレで気分が悪くなって吐いた。
そりゃこれだけ食べれば当然である。
辛くもなく、「当たり前だよなぁ」と思いながら吐いた。
泊めてくれたお礼と言って友人が奢ってくれたにも関わらず。
吐く前に、コーラを買うかどうか迷った。
出費を考えた。
私、何やってるんだろう。
痩せるために吐いたわけじゃない。
食欲をセーブできなかったわけじゃない。
知らないうちに薄く薄く積み重なったストレスのせいじゃない。
ただ単に、目を逸らしているからだ。
バカみたいに食べて、バカみたいに怒って、バカみたいに気を遣って、
バカみたいに頑張って、バカみたいに我慢して。
たった150円のモノを買うのに迷って、吐くまで食べて。
ふと思い返したら、太っていた時にはよくあったことだ。
食べて食べすぎて、吐く以外の方法しかなかったこと。
たくさん食べて後悔してじゃなく、気分が悪くて消化しきれなくて。
ハルちゃんと付き合ってからは、ダイエット考えてたからもあるけど、
そういうのがなくなったなぁってことに気づいた。
痩せるってのはいいことばっかりじゃなかったし、損したこともある。
でも食事を見なおしたってのは、「自分の食事を修正する情報」としては有益だった。
命を食らってそれを吐き出して、食べられる量も把握できていなかった。
なんか。
色々考えるのがバカバカしくなった。
さっさと帰って寝ることにしよう。
そして、ハルちゃんとも嫌になったら別れたらいいんだわ。
食べたものを吐き出して、身体の中にあったモヤモヤも吐き出したようだ。
頑張らなきゃいけない理由なんて、ひとつもないのだ。
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